R25 01/25-01/31 No.176 リクルート

最後のページのコラム「空は、今日も、青いか?」の第72回「今目のまえにある貧困」は、読んでおいた方がいいと思う。
フリーランスとフリーターは、言葉遊びではないが、その意味合いが違う。
フリーターは、アルバイトや日雇いが主な収入源となるため、必然的にその年収は低いものとならざるを得ない。
フリーランスもまたピンキリで、食えないフリーランスはフリーターとほぼ同様になってしまうために、この二つの単語をあやふやなものに感じさせる。
しかし、フリー契約の立場の人間と言いかえれば、ピンの人間には例えばフリーのアナウンサーもいるし、フリーのジャーナリストもいる。
その年収は、天井知らずのフリーランスもいるということだ。
フリーランスの人間の中には、組織に従属することを良しとせずに飛び出した者もいるだろうし、仕事柄そのような形式だったのかもしれない。
いずれにせよ、フリーランスになりたくなく、世情がそうならざるを得ない方向に向いていたからなる、というものではない。
しかし、フリーターはそうではない。
少子高齢化社会が50年・100年一回りして、今とこれからの高齢者が一掃された時代、この国には何が残るというのか?
何か目的があって、フリー契約の道を選ぶというのなら止めない。大いに進もう。共に進もう。
だが、特に目的もなくフリーターになるというのであれば、誰も守ってなどくれない絶望的なこの国で、どうやって生きるかを覚悟した上でなるべきと考える。
ならば、学生の期間を終えて、今後どうするかが全く見通しも立っていないという者がいれば、
とりあえずどこでもいいから就職する、という選択はベストでもベターでもないかもしれないが、少なくともワーストではないと断言できよう。
それは、4年前の自分が実証したから言えることでもある。