劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-

細部には色々と疑問というか、妙な引っかかりを覚える部分が散見されるが、全体としてみればいい作品だったと思う。
刹那とダブルオークアンタが、名曲【TRANS-AM RAISER】とともに駆け付けるシーンは涙を禁じえない。
ただ、妙な引っかかりを覚えるのも事実で、それは何から発生しているのかと頭の中で反芻してみたところ、
本作の構成が「ガンダムトップをねらえマクロススパロボα的なことをやりたいという構成」だったからではないかとの結論に至った。
それは本作のパンフレットでも水島精二監督が「ガンダムで宇宙怪獣と戦う」というコメントを寄せていることからもわかる。
それゆえに、ガンダムらしさが希薄と感じるのかもしれない。ガンダムでなくていいという印象が生まれるのも、そのあたりではないか。
では、「ガンダムらしさ」とは何かというものを定義しなければならなくなる。
しかし、そもそも「ガンダムらしさ」の定義なるものは存在しえるのだろうか?
いくつかの要素を挙げることはできようが、それが本作がガンダムらしくないと否定するための要素にはならない。
なぜ、本作をすんなり受け入れられないかと言えば、本作のコンセプトが既に他作品で名作と呼ばれるほどまでに完成されたものをいくつも見ているせいなのかもしれない。
本作が完成されていないという意味ではないが、コードギアスのクライマックスのような衝撃を覚えることはなかったし、
機動戦士ガンダムUC」のようなMSの戦闘の一挙手一投足に興奮するわけでもなく、「ガンダム00」だからこそこの物語が成り立ったんだ!というものも感じなかった。
なぜなら、ガンダムでなくとも成立するということを、既に「トップをねらえ!」やマクロスが証明しているから。
そのあたりが、本作へのインパクトの弱さになっているのかなというファーストインプレッションだった。
しかし、クオリティが低いわけではないし(むしろ高い)、お話として悪いものでもなかった。
何が悪いかと強いてあげるならば、水島監督らが掲げた劇場版のコンセプトと、私が「ガンダム00」に求めるものが、最初から解離していたということなのだと思う。
おもしろい作品ではあるけれど、自分的に満足と納得には至らなかったという感じか。
寿司が食いたかったのに、天ぷらが出てきたみたいな。極上の天ぷらだからうまいけど、でも寿司を求めてたのになぁ・・・的な。
そのあたり、TVシリーズを時間を開けてから見返したときに印象が変わったように、本作も時間を置いてから見返すと、スタッフのコンセプトに理解が及ぶのかもしれない。
ひとまず、第一印象としての感想をここに記しておく。