週刊ガンダム・ファクトファイル No.3 No.4 デアゴスティーニ

公式設定の「改竄」はマズイと思う。そんな印象が多々。
シュタイナー・ハーディについてがまさにその典型。
スタッフがどう言おうと、映像として表現されたものは「公式設定」というスタンスを崩すのはよくない。
その「公式設定」をどう解釈するか、が腕前の見せ所だろう。
シュタイナーがファミリーネームということなのかもしれないが、ファミリーネームが前に来る民族・文化も当然あるわけで、
たまたまシュタイナー・ハーディがその文化圏の人間だっただけのことかもしれない。
ファミリーネームだから、正しくは「ハーディー・シュタイナー」であると短絡的に結びつけるのは二流どころか三流の仕事。
所詮はディアゴスティーニ、といった評価しか現状ではできないな、これは。
この記述を受けたのか、例のスタッフの言葉を受けたのか、「ガンダムオペレーション」も似たような記述をしていて、
昨今のガンダム資料の制作スタッフも質が落ちたなぁと。
そのあたり、講談社角川書店メディアワークスあたりは老舗だけあってがんばってる。