機動戦士ガンダムSEED DESTINY PHASE-23「戦火の蔭」

敢えて「蔭」を用いた理由はなんだろうか?常用外でかっこいいという理由だったらアフォ丸出しになるような。「おかげさまで」とかに使う「蔭」だから、「戦火の裏側」という意味で使いたいならば「陰」を普通に使えば良いだけなんだが。
機動戦士ガンダムSEED」も「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」も、戦闘がメインの話のときには一過性のかっこよさ、一過性のインパクトはあるんだけれど、長期的な思慮を与える作品かというとそうでもない。色々な意味で刹那的な作品というのが特徴だろうと考える。
ハイネ・ヴェステンフルスも使い方次第では、物語には直接関わらなくなるにせよ、非常におもしろいキャラクターになれたはずなのだが、いつもどおりの使い捨てで終わってしまう。「ザクとは違うんだよ!ザクとは!」パロディ、オマージュは大いに結構。だが、やるならばとことん活かせ。せっかくハイネをランバ・ラルのオマージュとしての存在へと昇華するのならば、ファーストでは見られなかったランバ・ラル隊の戦闘や日常を、ミネルバを通して描くといった手法も取れたわけだ。しかし、それをしない。勿体無い。
カガリ・ユラ・アスハの回想を通して語られるウズミ・ナラ・アスハの演説「オーブ連合首長国の理念」。これはこれまでのSEEDシリーズを通して一番の名場面だったと思う。この演説はぜひセリフ起こししたいと思うが、どなたか既にやってたりするんだろうか?
トダカ一佐は人情味ある軍人で、なおかつ高度な戦術判断のできる軍人。そして、単純に人情だけに動かされて軍隊を動かすといった行動は決して取らない忠実な軍人でもある。ユウナ・ロマ・セイランの主張がどんなに筋が通らない納得のいかないものであろうと、司令官の命令に従うのが軍人というもの。そういった意味での描き方はうまい。