機動戦士ガンダム00 2nd season 第9話「拭えぬ過去」

アリー・アル=サーシェス(ここでは、アラビア語を和訳する場合の表記に準ずる)の半身は再生医療
1stシーズンにおいても、リヒテンダール・ツエーリのサイバーテクノロジーによる例があったので不可能ではないと思える。
ただ、宇宙空間で半身を失うほどの状態で、よく生存できたなとは思う。
文字通り、上半身のみになったのではなく、重度の火傷で下半身の機能を失ったが、再生医療によって甦った等ということならば理解もしやすいが。
彼の信念と戦闘能力はマイスター3人分にも匹敵。
1対4で初めて分が悪いというのは、現時点での彼の完成された能力と、明確な信念の強さを表している。
逆に、4人がかりでようやくという今のマイスターは、能力か信念、あるいは機体に何らかの至らない部分を抱えているということを示すための表現でもある。
ヒリング・ケアは戦闘用だった。
その名前から何らかの「回復」役かと思ったが、ここでもひっくり返された。
おそらく、社会秩序を「回復」するとか、そういう意味付けということになるのだろう。
彼女はリボンズを気にいっているのか、あるいは気を引こうとしているのか、かなりリボンズ寄りのスタンス。
リジェネ・レジェッタは、リボンズ・アルマークに従いつつも、なんらかの疑念を抱いているとも見える表現。
ヒリングとリジェネの描き方を見ていると、リボンズが全てを束ねていながらも、その中でそれぞれの思惑が動いていると見える。
となると、イノベーターの内部対立が、今後の展開に変化をもたらす可能性を、頭の片隅において見ていよう。
ガデッサパイロットはリヴァイヴ・リバイバル
そういえば、リジェネに続く3人目のイノベーターとして登場していたのを忘れていた。
海中から直接大気圏へ離脱するシーンは、おそらくガンダム史上初。
空中からはZガンダムガルダからの発艦のシーンがある。
残るは、マスドライバーなどを使わない海上からの離脱くらい?
機動戦士ガンダムSEED DESTINY」のストライクブースターが海上アークエンジェルからの発艦からと思ったら地上からだったので、海上からはまだなさそう。
「24」とか「ザ・ホワイトハウス」のようなアメリカドラマ的な話の作り方が、2ndシーズンになってようやく機能し始めたからこそ、今の「機動戦士ガンダム00」の面白さとなって表れてきたように思えた。
その手法自体は、1stシーズンでも既に導入はされていたのだけれども、世界観や設定が見る者に認知されてからでないと、この手法は効果的に機能しないために、
ある意味、1stシーズンを捨石にしてまで、この2ndを生かそうとしたのかもしれない。
今回のエピソードが、この手法を紹介するのに非常にわかりやすいのだが、端的に言うとわざと一つだけ「ピース」なり「フック」なりを残してバラまく手法である。
1話内で回収するか、敢えて忘れた頃に回収するかは、話の作り手や全体の構成によって変わってくるが、
この手法によると、「なぜ、あのとき、あの場で、彼(彼女)は、あんなことをしたのか?」ということが判明した瞬間に、爆発的なカタルシスを見る者に促す効果がある。
今回の見所は、プトレマイオスアロウズの猛攻を掻い潜り、無事に宇宙へと脱出するシーンであるが、海中から上昇する際に大気圏離脱のための出力を得るために、
3機のガンダムのジェネレーターをプトレマイオスと直結させ、さらにトランザムを発動させる。
ここで、ダブルオーガンダムのみトランザムを行わないのは、これまでにダブルオーガンダムは出力が安定しないために、トランザムを行うと機体そのものが危険であるという「前置き」が既に為されている。
そのために、見る者はその点を疑わずにスルーする。
同時に、トランザムを使用したガンダムは、トランザム使用後には機体性能が大幅に低下し、戦闘どころではないという前提条件が1stシーズンから植えつけられている。
そして大気圏外で敵の待ち伏せを受ける。
このとき、ガンダム各機はトランザム使用中、あるいは使用後のため、迎撃することができない。
だが、プトレマイオスには1機だけ、トランザムを使用していない機体がある。
唯一残されたダブルオーガンダムで、宇宙の敵部隊を迎撃する。
という構図が出来上がる。この構図は、意図的にせよ偶発的にせよ、「ピース」あるいは「フック」となる設定を敢えて一か所残しておくことで、その一つがあるとき突然収束あるいは回収され、物語をより盛り上げてくれるというわけである。
この手法をよく見かけるのは、アメリカドラマが多いのだが、日本の作品で言うと「踊る!大捜査線」などもその代表例と言える。
また、この手法を使うには、どうしても前半に「ピース」と「フック」をバラまく必要があり、そのバラまき方のうまさが、後半の収束シーンで活きてくる。
そのため、前半のバラまいているときの「間」がもたない可能性も出てくる上に、それを使った後半になる前に、見る者が「おもしろくない」という評価を下しかねない危険性がある手法でもある。
だからこそ、ある意味捨石になる覚悟で1stシーズンを描いたとも取れるのだが、そこを乗り越えた2ndシーズンだからこそ、「機動戦士ガンダム00」はよりおもしろい作品へと昇華していくことになると考えられる。